現在、学歴詐称したと問題視されている小池百合子知事。
その学歴詐称を手紙で告発・暴露した北原百代さんは、一体どんな方なののか、気になるところですね。
二人はなんと、ルームシェアにて生活を共にしていたとのこと。
手紙にはその当時ののことも記されており、その文面にカイロ大卒を疑わざるを得ない内容も記されていました。
今回はその背景とリンクする部分の多い、北原百代さんの職業について解説いたします。
- 北原百代がエジプトの地で選んだ職業は?
- 北原百代はハイジャンク事件に遭遇?!
- ルームシェア時代に抱いた、小池百合子知事への疑問
- 北原百代の帰国後の職業は?
北原百代さんについてはこちらの記事で詳しくまとめています。
北原百代の職業は?
北原百代さんはエジプト在住時代・旅行ガイドのお仕事をされていました。
「ツアーコンダクター」と呼ばれることもあり、旅行中のお客さんが楽しく観光できるよう、名所を案内したりするお仕事ですね。
北原百代さんはエジプトの首都・カイロの観光案内を担当していました。
エジプトの観光案内、暑くて大変そう
でも、異国の案内をできるってすごい!
もともと、古代エジプトに強い興味を持たれていた北原百代さん。
そのため大学は国立大学となるカイロ大学に進学し、アラビア語を専攻されていました。
北原百代さんはカイロ大学での授業を通じ、さらにエジプト文化への興味・関心が高まり、エジプトにて旅行ガイドとして就職・活躍されることとなります。。
北原百代の旅行ガイドとしての活動
この章では、北原百代さんが旅行ガイドとしてどのようにご活躍されていたかについてと、少し小池百合子知事との関わりについても触れていきます。
- カイロの観光担当
- ハイジャックに遭遇
- 語学習得のため、働きながら学校に通っていた
カイロの観光担当
北原百代さんが観光を担当していたのは首都・カイロとルクソールの間。
カイロには言わずと知れた三大ピラミッドにスフィンクス像と、エジプト観光では外せない名所が並びます。
スフィンクスて、なぞなぞ出す猫だよね。
そそ、エジプト神話にでてくる怪物だよ。
またルクソールには、あのツタンカーメン王の墓やカルナック神殿といった歴史的な遺跡がズラリ!
この辺りの観光案内を日本人にして任されていたとなると、アラビア語だけでなくエジプト史の知識もかなり豊富で、かなり優秀な旅行ガイドだったようですね。
ハイジャックに遭遇
そんなハイスペ旅行ガイドの北原百代さん、なんと観光案内中にハイジャック事件に巻き込まれます!
当時、日本でもこのハイジャック事件については大きく取り上げられました。
その際、なんと小池百合子知事(当時はJAL社員)がルームメイトとしてインタビューを受けていたのです。
手紙にも、そのことが次のように記されていました。
飛行機がハイジャックされる事件に巻き込まれました。大勢の日本人が乗っていたので、日本の新聞でも報道されました。日本の私の親にも「安否を気にする親族の声」を求めるメディアが殺到しました。この時、あなたも読売新聞の取材を受けていますね。「同居する北原さんの安否を心配する日本航空駐在員の〇〇(Bさんの名字)百合子さん」として。
引用元:Yahoo!ニュース
幸い事件は早期に解決しましたが、北原百代さんはこの時の報道内容に違和感を覚えたとのこと。
ご無事で何よりだよ。
うん、でも小池百合子知事のインタビュー内容に、モヤっとしたみたいだよ。
手紙には、次のような「驚き」も記されています。
百合子さんが「小池」ではなく、離婚しているのにBさんの名字を名乗ったことに驚きました。そして「日本航空駐在員」となっていることにも驚きました。もしかしたら記者が聞き間違えたのかもしれませんが、あくまで現地採用のスタッフで、駐在員ではなかったからです。
引用元:Yahoo!ニュース
ハイジャック事件が起きた際の取材にて、小池百合子知事は自身の身元について、
- 離婚前の名前を名乗る
- 実際は現地社員であるにもかかわらず、駐在員を名乗る
と、北原百代さんが知る小池百合子知事とな異なる内容で語ったからです。
おそらくは北原百代さんのエジプトでの旅行ガイド時代にて、かなりルームメイトに対して疑問・不信を抱いた出来事ではないでしょうか?
語学習得のため、働きながら学校に通っていた
カイロ大学でもアラビア語を専攻された北原百代さんですが、就職後も現地の語学スクールにてアラビア語の学習を継続します。
さすがは立派な社会人、スキルアップを習慣にされていたのですね。
特にアラビア語は「口語」と「文語」と種類があるなどの特徴から、語学としては難易度が高いとされています。
日本語でも、おしゃべりする時の言葉遣いとメールやLINEでの会話は若干ちがうように、アラビア語も話す時と書く時のニュアンスは異なります。
- 口語・・・話し言葉
- 文語・・・書き言葉
アラビア語は現地のエジプト人でも完全にマスターするのが難しいといわれており、その確率は4人に1人とのこと。
それをマスターした北原百代さんはある時、目にした学生時代の小池百合子知事のノートについて、次のように話しています。
’72年に小池さんが机に広げていたノートを偶然見たことがあったのですが、『This is a pen』レベルの、基礎的な文章がぎこちなく書かれていました。これでは、大学の授業に付いていけるはずがありません
引用元:FRIDAY
例えば、東大や早稲田に通う学生が英作文で「This is a pen.」しか書けないなんてことはないはず。
つまりは「とてもカイロ大学を卒業できるほどのアラビア語スキルではない」とも捉えることができてしまいます。
だとすると不自然ですし、アラビア語マスターの北原百代さんがいうからには信ぴょう性も高いですね。
北原百代が勤務していた旅行会社は?
北原百代さんが勤務していた旅行会社は「グリーンバレー・ワアーズ」という会社です。
ハイジャック事件の報道がされた新聞にも、その社名が記されていました。
エジプトでは有名な会社
当時の北原百代さんの勤務先となる旅行会社は「グリーンバレー・ワアーズ」は、エジプトでは有名な旅行会社のようです。
高いアラビア語スキルを保有していた北原百代さんだからこそ、大手を就職先として選んだようですね。
日本だとJTBみたいなとこ?
そのエジプトバージョンだね。
また現地民でなく、日本語も話せてアラビア語もマスターしている日本人従業員としても重宝される社員だったのではないかと思います。
アルバイト雇用だった?!
しかし、北原百代さんはグリーンバレー・ワアーズには正社員ではなく、アルバイト社員として所属しています。
私は2年の予定でカイロに来ましたが、旅行ガイドのアルバイトをするようになり、そのままカイロで暮らしていた。
引用元:文春オンライン
国立大学を卒業したにもかかわらず、アルバイトというのは意外ですね。
おそらくは正社員での旅行ガイドという就職先が少なかったか、その時はグリーンバレー・ワアーズでは正社員としての旅行ガイドを募集していなかったのではないかと考えられます。
もしくはアルバイトから正社員へのステップアップ雇用を希望していたとも考えられますね。
そうした下積みを得てでも、「エジプト文化の良さを一人でも多くの人に伝えたい」と、北原百代さんは考えていたのではないでしょうか。
帰国後の北原百代の職業
小池百合子知事が帰国後、しばらくして北原百代さんはエジプト人の男性と結婚されています。
エジプトでの生活は8年ほどだったと言われていますから、結婚後は夫婦揃って日本で生活をされていたのでしょう。
日本では、主婦をしながら執筆の仕事をしていたようですよ。
当時のことについては次のように紹介されています。
私が書き手として、平成の代表者である彼女に向き合うことになったきっかけは、月刊誌からの原稿執筆の依頼だった。都知事選が終わり、騒がしい夏が去ろうという頃のことだ。
私はそれを引き受けて、いつもと変わらぬ手順で執筆しようと試みた。
文春オンライン
またエジプトでの経験を活かして、日本の観光会社に勤めたか、旦那さんが乳製品の研究所に勤めていることから、研究の手伝いをしていたのかもしれませんね。
観光会社へ再就職だった場合、そこでもエジプトツアーの案内を担当されていたかもしれませんね。
まとめ|北原百代の職業
では、今回のまとめに入りましょう。
- 北原百代はエジプトでは、旅行ガイドをしていた
- エジプトの観光会社「グリーンバレー・ワアーズ」
- 雇用形態はアルバイト社員
- 働きながらもアラビア語を継続学習
- 北原百代は旅行ガイド時代、ハイジャックを経験
- その際、ルームメイトとして小池百合子知事がインタービューに受け答え
- 帰国後は主婦をしながら執筆の仕事をしていた
北原百代さんは純粋にエジプト文化に関心があり、旅行ガイドなどの活動を通じてその文化の良さを伝えていきたかった様子ですね。
その熱意ある生涯から、小池百合子知事のカイロ大学卒業が事実ではなく、「単なる憧れ」だったのかなとも、思えてしまいますが・・・。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
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